2012年1月30日 (月曜日)

わが家の生類憐れみの令

今年の冬は零年になく寒いと感じるのです。
歳をとると何かしらひがみっぽくなったのでしょうか。統計的な数字では検証していないからね例年と変わらないのかもしれないのですが。
然し以前よりは観察眼が良くなったことは事実です。
先ずハウスの中の温度の最高最低を入念に見るのです。
夕方になって、明日の予想最低温度を確認するようになつたのです。
予想最低温度が0度以下になれば、翌朝ののサラダ用の野菜を採り冷蔵庫の野菜庫に保管するようになったのです。
これを忘れるとね翌朝ハウスの中の野菜は凍っており、朝食にはパリパリの野菜サラダは食べることが出来ないのです。こんな時にはハウスの両袖のビニールを1番下まで下ろして、冷たい風が入らないようにして、その上特に軟弱野菜や芽を出したばかりの畝には、パオパオ(不織布)をかぶせて、少しでも温かいようにしてあげるのです。
翌朝は前日下ろした両サイドのビニールを手で巻きあげ、今日の最高温度を考えて、どの程度にするか決めるのです。不思議なことに、外部から侵入することは出来ないはずのビニールハウスに、野良根が気持ちよさそうに糞尿して昼寝をしているのです。
何処から侵入してきたのか、じっとみつめているとうろうろするばかりです。
大声で脅すとビニールを破られそうですから、態々入り口を開けるのです。
まさに生類哀れみの令です。

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2012年1月24日 (火曜日)

愛用の万年筆

日経新聞の1月22日の春秋欄に、文豪が自分の愛用の万年筆に、本妻、2号とあだ名をつけていたという記事を見ました。
私は面白いと思いました。本妻とか2号とか呼ぶところも、いつも自分の側にいながら、愛情があって、手放せないものがあったのだろうと、勝手に解釈をしたのです。
実は私も2本の万年筆を愛用しているのです。
メーカーは同じなのですが、ペン先がまったく違うのです。1本は太字であり、封書の宛先や手紙文を書くときのもので、従って、便箋は罫線の幅が広く小筆でも書ける紙質です。
もう一方の万年筆は、極細の万年筆で、もっぱら日記用に使用しているのです。
私の日記帳は1冊が10年日記になってい入るので、1日分が5行で行が狭いのです。
もっとも最近ではブログを書いているので、この個人的日記は書かなくなったのですが、今年の1月2日の書初めの日のブログに書いたように、毎日筆を握らないと、どうしても字が下手になり、これではいけないと今年はもつと筆を握ろうと決心したのです。
それは今更上手くなろうというよりは、自分らしい字を書こうと思ったのです。
万年筆は、普段から使っていないと、インクが固まって、すらすら書けなくて歯がゆいのです。
本妻も2号もすらすらとインクが紙になじんでこそ使い慣れて、思いが通じるものだとおもうのです。

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2012年1月21日 (土曜日)

ワインと小惑星とカレンダー

先日、1冊のカレンダーが届きました。
挨拶文を読んでいるうちに、これはすごいことだと驚いたのです。
このカレンダーの贈り主は、山梨県の南野呂にあるル・ミエールという名のワイナリーの会長である塚本俊彦さんからのものなのです。
そもそものお付き合いの始まりは、東京新宿に本店がある「三徳」という高級スーパーの納入業者会の夕食会の席でした。
私自身がアルコールが大好きで、その席で頂いたワインがことのほか美味しくて、それが縁で山梨の農園と工場を見学させていただき、それ以後毎晩のようにル・ミエールのワインを戴くようになりました。
挨拶文の中で、昨年の6月に新しく日本で小惑星が発見され、その惑星に塚本会長の曾祖父の名と塚本会長さんの名が命名されたというのです。
このことは月間「天文ガイド」の2011年11月号に掲載されているそうです。
何と素晴らしいことではないかと思います。
おりしも、昨年11月に80歳になられ、塚本会長の友人の寺門邦次氏(写真家)が、これを記念してカレンダーを作ったというのです。
私もアマチュア写真家としてその内容の美しさには驚きました。
人間というものの「縁」と「絆」の何ともいえない不思議を感じました。
(写真は月間天文ガイドの表紙です。)P1010727

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2012年1月18日 (水曜日)

老老介護

毎年のことですが、高校時代の同じクラスの同窓会が今年も開かれました。
毎年開かれているのですが、話題がいつも違うのです。
今年は、自分の母親の介護の話になりました。
実は私達は、昭和10年(1935年)生まれですから76歳になるのですが、母親の年齢は95歳から105歳になるのです。
クラスの中でも生存している最高齢者は105歳で、下が95歳です。
話によると、全員が施設に預かってもらっており、殆どが認知症だというのです。
同級生の話では、殆ど毎日母親の施設に行き、1時間ほど話をして帰ってくるというのです。
帰り際には母親は行ったときより明るい顔になつているというのです。
私は他人事ではないと思いました。私の母親は65歳で亡くなりましたから、今考えると若死にだったと思うのです。
今でも見舞いに行っている同級生には敬意を表します。
母親が喜ぶのは、肩をもんであげたり、膝をさすってあげたりすると1番喜ぶのだそうです。
私は友人のさりげない話を聞いているうちに、涙がこぼれてきました。
涙をこぼしながら「君は偉いよ」というのが精一杯でした。
わが家に帰ってから、母親が生きていた時分を思い出し、もう一度時代背景を整理して、どんな生活だったのかを検証してみたいと思いました。Img_3898

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2012年1月15日 (日曜日)

靴磨き

今年も年の初めに色々なことを計画しました。
殆どが例年と変わらないのですが、よく考えてみると、うまく実行できたものと、そうでないものがあるのです。
そのうち、あまりよくし実行できなかったものの中に、靴磨きがあるのです。
今日は下駄箱の中から、全ての靴を出して革靴のみ磨きました。
外では冷たい風か吹いているので、玄関の中に靴を並べて、今日は黒色のみとしました。
靴磨きの小道具は揃っており、磨き方も羽田空港の地階や東京駅の八重洲口の靴磨き屋さんの要領も覚えているので、やりだしたら速いのです。
然し、ひどいのになると、少しカビがきているのもあるのです。
履きやすいのになると、出番が多いので、それほどにはないのです。心の中では申し訳ないと思いました。
私は自分で、靴を磨かないのは、心を磨いていないのだと、いつも言い聞かせているのですが、ホテルに泊まったときの簡易ポリッシャーペーパーで済ませている悪い癖がついてしまつたようです。
大体、曜日ごとに、その日の日課はきまつているのです。靴磨きは土曜日の日課になっているのですが、庭の芝を刈る日と同じなのです。冬になり芝を刈らなくなって、ついつい靴磨きもしなくなつたのです。
靴を磨きながら、八重洲口の靴磨き屋さんは寒風に身をさらされながら、生きるために一生懸命なのだと改めて自分に言い聞かせました。Img_3902

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2012年1月12日 (木曜日)

年賀状

今年も沢山の年賀状を頂きました。
毎年のことながら、どんな年賀状が届くのやら楽しみです。
どの年賀状も、それなりに個性があり、心のこもったものばかりですが、その中でも「すごーい!}とびっくりさせられる年賀状があるのです。
その中の幾つかを紹介しましょう
今年の1番「すごーい」は長野県の北アルプスの燕山荘の経営者から送られてきた燕岳(2763メートル)
の日の出の写真です。
今の私の体力では、とても登山は不可能なだけに、毎日眺めていても、すがすがしい1枚の年賀状です。
毎年頂く「すごい」の1枚は昔から絵心のある方でうすい墨絵で描いてくれる「干支」の絵です。
この人の絵の特色は一筆で描くところです。その横に添え書きしてある筆字も美しいのです。
今年はもう1人、美しい絵を描いてくれる人が増えました。
水彩画で色々な色を使いファンタジックな絵で虹の上に笑顔が沢山並んで「幸せ」を感じるのです。
大学時代の友人からは、「後期高齢者」の友人として、注意事項がしつかりと書かれていました。
学生時代と全く変わっていないと感心しました。
ほっとするのは、特別なハガキではないのですが「元気です」と書いてある遠くに住んでいる兄姉たちの年賀状です。
もうひとつ、ほつとするのが、かかりつけのお医者さんからの年賀状です。心にとめていただいていると言う「安心」を感じました。Img_2202

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2012年1月10日 (火曜日)

私の青春時代

1月9日は成人の日です。
私にも成人の日がありました。
20歳の時は大学生であり、その日は大学の寮の仲間と近くの自治公民館に出席したことを覚えています。
その時は社会人になつたら、なにをするという具体的目標はなく、ただアルバイトをしながらでも、卒業することを最優先することを考えたものでした。
お金はなかったけれども、6畳の狭い部屋に3人いて、真面目にみかん箱に新聞紙を貼っただけの机を置いて本を読んだものでした。
入学して1年半は一般教養部ですから、自由にいろいろな勉強が出来たのでが、今でも役に立っているようです。
1番読んだのは哲学の本で、実は意味が解らないのに、一生懸命読んだものでした。
金が無かったので新本は買えず、殆ど古本であり、奨学金が入るまで古本代を貸して頂いたのが懐かしい思い出です。
丁度その頃学生運動が激しくなるころで、お蔭でマルクスの経済学教科書は何回も読んで元気よく学生運動に参加したのも遠い思い出になりました。
その頃寮から錦江湾越しに櫻島の雄姿を望み、酒を飲んでは肩を組み七高寮歌を歌ったのが楽しい思い出です。Img_4543

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2012年1月 8日 (日曜日)

七草粥

1月7日は七草粥で、この日七草粥をたべると、!年中病気にならないといわれているのです。
日本の伝統的食事文化で、歴史的には室町時代に中国から伝わってきたと書物には書いてあるのです。
七草は勿論7種命の野菜ですが、以前はまさに野に自生していたものです。
今では殆ど見られないものですが、スーパーではセットになったものが売られており、簡単に手に入れることが
出来るのです。
わが家でも7日の朝は娘のところから差し入れがあり、有難く頂きました。
私は七草粥を頂きながら、今年も料理に精を出し元気に過ごしたいものだと思いました。
自分で3度の食事を調理するようになって、4年が経ち一通り調理が出来るようになって、よく頑張ったものだと
思うし、同時に自宅のハウスに無農薬の野菜の栽培も上手になり、その野菜を材料にした料理はひとしお旨くなり、善循環だと思っているのです。
特に朝起きて一日の野菜を採りにハウスに出かけるのが一番の楽しみになり、サラダの味も最高です。
ハウス栽培(無化温)ですから、1日の室内の気温はマイナス3度からプラス30度まで変化するので
調節するには気をつかいます。
朝、昼、夕方と外気温との調整は大変ですが、野菜の様子を観察することが1番大切だと思っています。
(写真はハウスの中で元気に育つセロリやミツバ等の野菜たちです。)P1010726

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2012年1月 6日 (金曜日)

バァバとパソコン

年の暮れに、73歳になる家内が突然パソコンを買ってきたのです。
驚きました。何をするためにパソコンを買ってきたのだろうと思いました。
理由は、家内が池坊やアレンジの花を自宅や職業訓練校で教えているので、必要な花がこの地方では手に入れにくいことがあるのだそうです。
インターネットでは容易に手に入れることができるという話をきいてきたのだそうです。
先ずそのパソコンの操作は誰に習うのか尋ねると、高校1年の孫が教えてくれるというのだそうです。
去年の秋、恒例の社中の展示会を開いた時、この展示会も今年までにしようといっていた本人なので、果たして続くだろうかと不安です。
いずれにしても、73歳になってパソコンを買ってきたのだから、その意欲は大したものだと思うのです。
下手にケチをつけるよりは、「大したものだ、慣れれば簡単だよ」と大きな声で応援したのです。
正月に孫がスカイプを立ち上げてくれて、早速パソコンに写る東京の孫一家と賑やかに会話です。
私は傍から見ていて、これは今年は大変な年になりそうだと思いました。
(写真はわが家の庭のセンリョウです。)P1010725

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2012年1月 2日 (月曜日)

写経

毎年1月2日には、書初めで独りで写経をすることにしているのです。
今年も真面目に書くことにしました。
道具を取り出し、硯に墨をすり、気持ちを落ち着けて、新年ですから新しい筆をおろしました。書き始めて暫らくしてみると、いつもより時間がかかっていることに気づきました。
自分に「集中力!集中力!」といい聞かせながら書いているのですが、結局小休止を入れることにしました。
この写経は自分で書くことに決めて、今年で36年書き続けているのです。
そもそも、そのきっかけは私が青年会議所を卒業する時(青年会議所は40歳でていねんなのです)
自分を戒めるため、正月に写経をするように決めたのです。
書き終えてから、改めて昨年の書初めより字が下手になっており、小休止まで入れたほど、気力が落ちたことに気づいたのです。
あれこれ考えたあげく大きな理由に気づきました。
それは去年1年間筆を握っていないことに気づいたのです。実は以前毎日のように少しではあるが、小学低学年用の国語の四角い升目のあるノートに筆字を書いていたのですが、去年の1月17日で止まったままなのです。大いに反省しました。
今年は毎月の写経会の例会の前に筆を握ることに決意しました。
8写真は庭に咲く水仙の花です。)Img_7377

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